沖縄赤十字病院

沿革

病院紹介沿革

 

昭和27年 11月 沖縄赤十字病院の前身である琉球臨時厚生協会経営による「厚生協会診療所」(外科・内科・小児科・歯科・レントゲン科)として那覇市美栄橋1の7番地に設立。建物面積660m²2階のうち1階を使用。
12月19日開設許可(琉球政府行政副主席)
昭和28年 12月 「厚生協会病院」(内科・小児科・外科・歯科・耳鼻科・レントゲン科)として米国民政府令第34号により許可さる(行政主席)。初代院長永井吉三氏就任32床
昭和34年 4月 3階病棟300m²32床を増築。開設。計64床
  12月 琉球臨時厚生協会を解散、財団法人沖縄赤十字社設立と同時に病院名を沖縄赤十字病院と改称。
昭和37年 4月 南方同胞援護会の委託を受けて沖縄福祉病院(沖縄赤十字病院が委託運営)を開設、建物延べ面積1580m²3階建100床開設、計164床。
  11月 産婦人科外来及病棟15床・検査室・炊事場・看護婦宿舎等を配置するため鉄筋コンクリート3階建延980m²増築。
昭和38年 11月 既設の沖縄福祉病院に4階5階を増設、延べ1008m²。
昭和39年 11月 癌診療所1階建137.78m²を附設、ボイラー室、霊安室、洗濯場等61.98m²を新設。
昭和40年 5月 看護婦宿舎を福祉病院5階へ移転。
昭和42年 1月 産婦人科病棟を旧看護婦宿舎あとに移転。
昭和42年 4月 福祉病棟4階病棟40床を開設。計204床
昭和44年 3月 歯科を閉鎖。
  5月 テレビレントゲン室136m²を増築、テレビレントゲン装置を設置。
昭和47年 5月 14日、沖縄の日本復帰実現により財団法人沖縄赤十字社解散。
昭和47年 5月 15日、日本赤十字社へ組織移行、沖縄赤十字社は日本赤十字社沖縄県支部として発足、日赤経営の沖縄赤十字病院として再出発。
  6月 基準看護、基準給食、基準寝具承認。
  11月 産婦人科病棟4階320.76m²21床を増築。
昭和48年 3月 南方同胞援護会解散により福祉病院固定資産を日本赤十字社へ無償譲渡。
昭和49年 9月 沖縄赤十字病院消防規定制定、防火対策委員会発足。
  10月 沖縄赤十字病院給食委員会規定制定。
昭和50年 5月 高瀬松子看護部長第25回フローレンスナイチンゲール記章授与さる。
昭和50年 6月 閉鎖中の4階病棟を内科小児科病棟として再開(内科44床、小児科11床)
昭和51年 3月 昭和50年度公的医療機関施設整備費補助事業(厚生省)として救急室の整備、病棟改造、防災設備、ボイラー、酸素マニホルド等設置工事完了。
昭和52年 1月 24日病院移転新築工事起工式。日本赤十字社副社長小池欣一氏御臨席。
  5月 与那国島へ漂着したベトナム難民に対する医療援護実施。
昭和53年 3月 看護婦宿舎等建設用地として豊見城村字真玉橋36番地外145,49m²を購入。
  7月 新病院建設工事竣工引渡式、地上6階、延面積7941.64m²敷地面積9553.36m²(県有地)所在地、那覇市古波蔵113番地。
  8月 22日新病院開院式、那覇市久茂地1-3-8から移転、内科、小児科、外科、整形外科、産婦人科、放射線科、病床数204床。
  同月 31日那覇市久茂地1-3-8の旧病院敷地を所有者の日本専売公社へ建物も現状のまま返還。
昭和53年 10月 新病院移転新築落成式、日本赤十字社長林敬三氏御臨席。
  11月 5階内科病棟49床開設。
昭和54年 2月 医療費請求業務のためコンピュータを導入(三菱メディコム80パーコードシステム)(センター方式)
  5月 コバルト60設置。使用開始。
  11月 看護婦宿舎新築工事完了。所在地、豊見城村真玉橋36番地、敷地面積1145.49m²3階建物延面積870.28m²
昭和55年 7月 日本赤十字社沖縄県支部所管「本部国際友好センター」にベトナム難民をご慰問のため来県中の常陸宮妃殿下が患者ご慰問のため来院(16日)。
昭和55年 8月 沖縄東方海上でおきたソ連原潜火災事故に対し、海上保安庁の要請により出動待機したが、ソ連側の事情により出動に至らず。
  9月 渡嘉敷村「国立青年の家」で医師及び幹部職員の一泊研修実施(2回目を11月に実施)。
昭和57年1月 休診中の整形外科を再開。
  8月 CTスキャナ設置に伴う関連増改築工事の起工式を13日に行う。
  同月 毎週木曜日のみに受入れの二次救急患者を毎日受入れ実施。
  同月 病院経営改善のための「沖縄赤十字病院経営改善委員会」が設置され、日本赤十字社沖縄県支部平良事務局長が委員長となる。
  9月 病院の組織を一部改正し、医療社会事業部に社会課を新設。医療社会活動始動。
  12月 小児外科来棟の完成により、17日に移転完了。診療開始。
昭和58年 2月 CTスキャナ(全身用コンピューターエックス線断層診断装置)全額県補助により設置さる。
  3月 沖縄県第二次振興開発計画に基づき、現建物裏に一部国庫助成及び県補助により110床増築決定。
  同月 盛岡赤十字病院寄贈による大型検診車(胸部、胃部レントゲン検診車)が到着、集団検診活動開始。
  4月 従来の各科別カルテ制度から、中央カルテ制となる(1日)
  同月 赤十字奉仕団による初の院内奉仕作業開始(浦添市赤十字奉仕団)5日
  8月 沖縄赤十字病院増改築工事起工式(25日)
  10月 第37回日本赤十字社病院長連盟総会を当院担当で那覇で開催、全国の日赤病院長一堂に開催(3日~7日迄)
  同月 那覇市条例により病院往所変更、那覇市古波蔵113番地から「那覇市古波蔵4丁目11番1号」となる。(11日)
昭和59年 3月 上棟式(15日)
  8月 南病棟改築工事完了引渡式(25日)
  同月 RC造 地上5階建延面積4758.14m²
  9月 脳神経外科、眼科、耳鼻咽喉科診療開始(1日)
  10月 南4階病棟(整形外科病棟)開設55床計259床(1日)
医療業務にコンピューターシステムを導入する。NECシステム150(自社導入方式)(1日)
  11月 健康管理センター開設(人間ドック5床)計264床(5日)
  同月 胃部・胸部・検診車、譲渡式(22日)
  12月 改造工事完了引渡式(15日)改造面積694.76m²
昭和60年 2月 総合病院として承認される。(1日)
  同月 南3階病棟(脳神経外科・眼科・耳鼻咽喉科病棟)開設55床計319床
  同月 増改築工事落成(13日)
  4月 救急病院の指定受ける(10日)
  6月 皮膚科・泌尿器科・理学診療科開設(1日)
  9月 沖縄県知事西銘順治、当院視察、記念植樹(9月9日※救急の日)
  11月 院内レストラン開店
昭和61年 4月 麻酔科開設(1日)
  8月 南3階病棟改築工事完了
昭和62年 3月 手術室及び検査室増築工事完了
  5月 外来者専用駐車場(ジャストパーク)完成(136台駐車可能)
  7月 未熟児室改築(11床)完成(8日)2階事務室増改築完成(21日)
  9月 健康管理センター専用の放射線ヘエックス線装置3台設置(4日)
  同月 駐車場整備のため土地購入(289.98m²)延面積11,652.36m²(11日)
  11月 駐車場整備のため土地借上(229.9m²)延面積11,882.26m²(13日)
昭和63年 4月 日赤支部より婦人がん集団検診事業を移管し、医療社会事業部が引き継ぐ(1日)
  同月 検査、健診業務にコンピュータ導入(NEC N3050)
  8月 処務規定の一部改正により薬剤部が調剤課、薬品管理課の2課になり、看護部に保健指導室を加え、検査部に生化学係、生理学係、細菌血清係を加えた。(1日)
  11月 九州ブロック薬剤部長会議開催(18日)
九州ブロック院長・事務部長合同会議開催(30日)
平成元年 8月 北病棟(204床)が特三類基準看護に承認される。(1日)
医学雑誌「沖縄赤十字病院おーきな・わ」創刊(28日)
  10月 放射線科部、検査部の救急輸番日の当直制スタート
  11月 給食業務コンピュータ導入(Hospia80セントラルユニ)
  12月 日本赤十字社沖縄県支部100周年記念式典(16日)
平成2年 2月 日本赤十字社沖縄県支部移転住所那覇市古波蔵3丁目7番25号
  9月 医事業務コンピュータ切替え(ACOS3400/モデル6)
平成3年 3月 放射線治療装置MEVATRON67-6327設置
  4月 アメリカ赤十字沖縄支社、院内見学(29日)
  同月 胃部検診車を日本自転車振興会補助により導入(26日)
平成4年 8月 MRSA院内感染対策マニュアル-第1版-発行
  9月 南病棟(110床)特三類看護承認により計314床特三類となる。
  10月 特別管理給食加算実施
  11月 院内全館禁煙実施
  同月 沖縄赤十字病院創立40周年記念式典
平成5年 8月 外科病棟病床変更44床-35床(外科)9床(内科)
  9月 更生医療指定医療機関・眼科を担当する医療機関
  11月 近衛副社長来院視察
  同月 平成5年度沖縄県社会保険大会において社会保険庁長官表彰を受ける
  同月 コンピューテッドラジオグラフィデジタル映像化処理装置導入
平成6年 3月 超電導MRIシステム導入(国庫補助)
  8月 超音波診断装置を日本自転車振興会補助により生理機能検査室へ設置
  10月 新看護体制へ移行
平成7年 4月 車椅子贈呈式挙行 大同火災より3台 於:リハビリテーション室
  6月 感謝状及び記念晶贈呈式 於:院長応接室
社団法人 日本リウマチ友の会沖縄県支部長から比嘉院長へ
  10月 韓国青少年赤十字メンバー当院見学 2名
  12月 防災無線設置
平成8年 1月 救急伝送システム設置
  2月 婦人がん検診車引渡式開催
  3月 循環器X線検査システム導入(国庫補助)
  7月 駐車管理システム設置(7月15日本稼働)
  同月 検査、健診業務のコンピュータ切替え(NEC Express 5800 モデル750)
  11月 給食業務コンピュータ切替え(メディクダイエット丸善)
  12月 夜間勤務等看護加算承認
平成9年 7月 稼働病床314床から319床へ変更 北6階病棟 62床一37床(内科) 25床(小児科)
  同月 北5階病棟 52床(内科)
  同月 北4階病棟 51床一46床(外科) 3床(眼科) 2床(皮膚科)
  同月 北3階病棟 43床一35床(産婦人科) 8床(内科)
  同月 南4階病棟 55床一45床(整形外科) 6床(内科) 4床(泌尿器科)
  同月 南3階病棟 56床一45床(脳神経外科) 11床(耳鼻咽喉科)
  同月 企画課を設置
  同月 社会課を廃止し、医療社会事業課へ統合
  同月 理学診療科をリハビリテーション科へ名称変更
  同月 庶務課を総務課へ名称変更
  11月 競輸公益資金の補助により超音波内視鏡装置を設置
平成10年 8月 新生児特定集中治療室(11床)開設。6床を新生児特定集中治療室管理施設基準承認
  10月 小児科病棟を北6階から3階へ移動
  11月 メディカルリスクマネジメント(MRM)委員会発足(26日)
平成11年 3月 X線骨密度測定装置導入
  4月 医事業務コンピュータ切替え(NECExpress5800/Ha140)
  10月 歯科・歯科口腔外科開設
  11月 FMS(検査システム、機器試薬一括納入方式)の導入(1日)
  同月 新病院情報システム(オーダリングシステム)入院本稼働
  12月 新病院情報システム(オーダリングシステム)外来本稼働
平成12年 4月 第10第院長高良英一氏就任
  同月 比嘉 實 氏名誉院長の称号を授与
  7月 九州沖縄サミット開催に向け災害発生時訓練実施(14日)
  10月 セレクトメニュー実施(23日)(栄養課)
  同月 国吉 隆之 事務部長西日本赤十字病院事務部長会会長就任
  11月 比嘉 實 名誉院長秋の叙勲勲四等瑞宝章受章
  同月 第一回地域医療連携推進会議開催
  12月 乳房X線撮影装置(MANMOMAT1000)設置
  同月 胸部検診車(DHM-152TH)日本自転車振興会補助により導入
平成13年 1月 沖縄赤十字病院診療情報誌発行
  10月 診療用エックス線装置を更新(KXO-80XM)
平成14年 2月 救急病院の認定更新
  3月 救急処置室拡張移転
  11月 X線CT装置(SOMATOM sansation)日本自転車振興会補助により導入
  同月 九州八県支部合同災害救護訓練実施(糸満市)
平成15年 6月 回復期リハビリテーション病棟開設(北6階 48床)
平成16年 1月 胃部検診車(DHF-153VM II)日本自転車振興会補助により導入
  3月 第1回地域医療連携懇話会開催(3月5日)
  7月 高尾実千代看護師ケニアロピディン戦傷外科病院へ派遣
  11月 第58回日本赤十字病院長連盟定期総会開催(沖縄ハーバービューホテル)
平成17年 5月 病院機能評価Ver4.0一般を受審
平成18年 5月 日本医療機能評価機構から病院機能評価Ver4.0一般を認定される
  6月 人間ドック・健診施設機能評価を受審
  6月 中城村・那覇市において長雨による土砂災害の非難住民にこころのケア要員(3名)派遣
  7月 人間ドック学会から人間ドック・健診施設機能評価を認定される
平成19年 2月 高尾実千代看護係長救急法等講習普及支援事業のためパラオ赤十字社へ派遣
  3月 回復期リハビリテーション病棟閉鎖(北6階 48床)
  7月 セカンドオピニオン外来を開設
  8月 那覇空港で発生した中華航空機炎上事故に救護班(1個班)を派遣
  8月 会計自動精算機(3台)外来へ設置
  10月 開放病床(7床)を設置
平成20年 4月 医師事務補助業務職員配置(算定は10月から実施)
  5月 DMAT(災害派遣医療チーム)登録(医師2名、看護師2名、事務1名)
  6月 糸数久美子看護師フィリピン地域医療支援事業派遣(~12月)
  7月 DPC(急性期入院期間別包括評価)制度の導入
平成20年 11月 新病院等新築移転起工式
平成21年 1月 稼働病床数319床から314床へ変更
  2月 透析管理室設置
  8月 ガーブ川鉄砲水事故に救護班(1個班)を派遣
  12月 新築病院棟・複合管理棟上棟式
平成22年 6月 新病院落成式
  7月 新病院開院(外来診療は7月5日から)
  8月 患者図書室オープン
平成23年 3月 東日本大震災 救護班等派遣(救護班6個班、こころのケア班4班、災害医療コーディネート支援、事務支援、看護業務支援、ER看護師支援)
  同月 事務支援、看護業務支援、ER看護師支援)
  7月 外来診療土曜日休診
平成24年 7月 呼吸器外科、消化器外科、乳腺外科開設
平成25年 10月 地域医療支援病院に認定される。
平成26年 3月 日本医療機能評価機構より機能種別版評価Ver.1.0(一般病院2)を認定される。
  同月 沖縄県知事より沖縄DMAT病院に指定される。
平成27年 4月 高尾実千代看護師長 南スーダン紛争救援事業派遣。
平成27年 6月 地域災害拠点病院に指定される。
平成28年 4月 熊本地震救護班等派遣。(救護班2個班、災害対策本部支援要員、災害医療コーディネーター【医師】、熊本赤十字病院への病院支援)
平成29年 8月 高尾実千代看護師長 南スーダン紛争救援事業派遣。
平成30年 4月 名誉院長 髙良 英一 就任
  同月 院長 大嶺 靖 就任
  同月 てんかん診療拠点機関に指定される。
平成30年 7月 緩和ケア病棟(26床)を開設。一般病床(276床)と合わせて302床。
平成30年 11月 電子カルテシステムを更新。(富士通HOPE/EGMAIN-GX)
平成30年 12月 NBC多数傷病者受入訓練を実施。(那覇市消防局と合同実施)
平成31年 3月 日本病院評価機構より、機能種別版評価3rdG:Ver.2.0(一般病院2)に認定される。
令和元年 9月 那覇市より感謝状を授与。(那覇市防災フェアにて)
令和元年 10月 長期療養者就職支援事業実施協定、治療と仕事の両立支援事業実施協定を締結。
令和元年 12月 高尾実千代看護師長を南スーダンへ派遣。(赤十字国際委員会南スーダン紛争犠牲者救済事業)
令和2年 4月 新型コロナウイルス感染症対応のため対策本部を立ち上げ。
  同月 新型コロナウイルス感染症対応のための重点医療機関に指定される。
令和2年 7月 患者支援センターを開設。
  同月 熊本県豪雨災害へ救護班を派遣。(2個班、期間7月9日~7月24日)
令和2年 11月 天皇皇后両陛下から新型コロナウイルス感染症対応への行幸啓(オンライン)を受ける。
令和3年 11月 那覇市より市政100周年特別感謝状を授与。
令和4年 10月 沖縄県離島振興協議会・鹿児島県市町村総合事務組合より感謝状を授与。(緊急患者空輸事業)
令和5年 2月 下地美咲看護師をレバノン共和国へ派遣。(パレスチナ赤新月社医療支援事業)
令和6年 1月 能登半島地震救護班等派遣(日赤災害コーディネートチーム2個班、救護班3個班)期間1月13日~2月25日
令和6年 3月 第11代院長 大嶺 靖 退任
令和6年 4月 第12代院長 赤嶺 盛和 就任